加野銀行の現在は?あさが来たのモデル加島銀行の行方

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大人気のNHKの朝ドラ「あさが来た」では、
ついに「加野銀行」が開店するところまで
話が進んできましたねヽ(*´∀`)ノ

加野銀行の設立に関わった実在の人物
広岡浅子がモデルだけに、その中に出てくる
場所も実在するところがモデルになっていいます。

 

ドラマの中であさが最初に両替商以外に始めたのは
炭鉱ですが、もちろん本当に炭鉱事業を
起こしていました。

現在は鉱山自体ももちろんありますが、
代わりになるエネルギーが発達したため、
メジャーな事業ではなくなりました。

 

でも加野銀行は?って思ったんです。
銀行なら今でもありますもんね。

あさの実家の今井家は、本当は三井家といいます。
銀行事業にももちろん参入していて、
昔の三井銀行がそれにあたります。

 

名前こそ今は違いますが、確実に残っています。
でも残念ながら加野銀行はもうありません。

 

あさが来たを見ている人は「あさがいるのに
潰れちゃったの?」と思うかもしれないですが、
加野銀行が無くなってしまったのはあさこが
亡くなってからです。

 

加野銀行のモデル、加島銀行の設立から廃業までの流れ

 

加野銀行のモデルになった加島銀行は
広岡浅子の長年の夢の事業でもありました。

実家も嫁いだ先も両替商でしたから、
時代の移り変わりに敏感だった浅子にとって、
銀行に興味を持ったのはごく自然な流れですね。

 

加島銀行が設立されたのは、明治21年、1888年の
ことでした。炭鉱で成功したことで多くの利益を
手にした浅子だからできたのでしょう。

商売の勘のいい浅子や周りの人に恵まれたこと、
頭取になった義理の弟広岡正秋(ドラマでは栄三郎)
の力などもあり、加島銀行はどんどん大きくなっていきます。

 

その後浅子は大正8年、1919年に69歳で亡くなっています。
銀行設立から31年後のことでした。

 

浅子が亡くなってからおよそ11年後の1930年から1931年
(昭和5年から6年)にかけて、日本は「昭和恐慌」と
呼ばれる大不況に襲われます。

昭和恐慌はウィキペディアによると

第一次世界大戦による戦時バブルの崩壊によって
銀行が抱えた不良債権が金融システムを招き、
一時は収束するものの、その後の金本位制を
目的とした緊縮的な金融政策によって、
日本経済は深刻なデフレ不況に陥った

ということだったようです。
この影響を加島銀行も受けてしまい、
次々に支店などが買収され始めました。

そしてダメージを挽回することなく、
1937年(昭和12年)に加島銀行は廃業に追い込まれます。

 

浅子は既にこの世にはいなかったのですが、
もし生きていたら、どんな風に思ったのでしょうか。

それとも浅子が生きていたら、また違った
展開になっていたのでしょうか。

 

ただ、買収された支店は、現在の
三菱東京UFJ銀行やりそな銀行、中国銀行に
受け継がれています。

加島銀行の名前はなくなってしまいましたが、
浅子や加島屋の人々の努力の結晶は
現在もひっそり息づいているのだと思います。

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